「学ぶ」の語源

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」

ということですが、本当にその通りだなーと、しみじみ思う卒園式2日前の夜です。

いよいよ、あと2日で卒園式。保育は3月末までですが、もう寂しくてしょうがないです。
まあ、通っていたのは息子ですが、私だって朝と夕方に6年間通ったんだから寂しいです。

一番寂しいのは、園長さんと、保母に会えなくなる事。
本当にどれだけお世話になったか。私が笑
いつも暖かくて、助けを求めなくてもそっと手を差し伸べてくれる。いつも見守ってくれています。
あーまた書きながら涙がーーーー

お母さんとして、人として、大人として、ものすごくたくさんのことを学びました。

 

教わらなくてもたくさん学べる

もちろん何かを教えてもらったわけではありません。
保育園でも、「ここの保育園は何かを教えるわけではないので「先生」ではなく、〇〇保母、園長さん、と呼んでくださいね。」と入園当初お話しがありました。
それでも、本当にたくさんのことを学ぶことができたのは、園長さんや、保母がお手本をたくさん見せてくれたからだと思います。
それを真似ただけ。がんばって真似したわけでもなく、尊敬できたり、素敵だなと思う人の行動は知らず知らずのうちに「真似ぶ」しています。

私が子育てのモットーにしている「子は親の鏡」は、この「真似ぶ」からきています。
お母さんのことを真似して成長してほしいわけではありません。そんな完璧な人間ではもちろんありませんから。
私が保母たちからたくさんのことを真似て学んだように、子は親の姿を真似て学んでいると思っているので、
もしも良くない行いをした時には、親自身をまず疑わなければならない、という意味での鏡です。

悪いことをしてはいけないでしょ!ではなく、
悪いことするということは、私もしているかもしれない。。と自分自身を振り返ります。

そして、良い行いに変えたい時は、それを大げさにでも体現して見せます。
何度も何度も、真似して学んでくれるまで根気強く続けます。
あーしなさい、こーしなさいと言って行動を正したものは長続きしないと思います。
真似て学んだことは、しっかり身についていることが多いです。
だからといって安心して大人が元どおりの悪い行動に戻ってしまっては、子どもだって真似して戻ります。

そう考えると、保母が子どもたちに見せている、行動や、言葉はいつもお手本でなくてはならないわけです。
それは、子どもに対する大人の接し方のお手本でもあって、そこからたくさん真似てきた私です。
園長さんは特に、心から尊敬していますし、担任の保母だけでなく、他のクラスの保母も本当に素敵です。

あーあと2週間で卒園だなんて、本当に寂しい!!
悩んだ時には相談しにきてもいいですか?と甘ったれ発言を保育園最後の保護者会で尋ねたら、
「もちろん!いつでも来てください!」と言ってくださいました。
だめなんて言えないでしょ、と思うかもしれませんが、いつも通り心のこもった温かさを感じる言葉でした。
この言葉を支えに入学準備と、学童の準備と、小学校生活と・・・どうにか乗り越えたいと思います!
私が乗り越えられたら、息子もきっと乗り越えられる!子は親の鏡ですから!